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小説「カンナナの坂」・三上広昭

カンナナの坂

 

             三上広昭

 

 

 朝の郵便体操は管理者と配達員が向かい会って行う。睨み合うわけではない。管理者は気を緩めると雑談や仕事を始める配達員を見張り、配達員はそれを眺めながら今日の段取りや昼飯のことを考えている。何かを考えていても、いなくても音楽が流れれば身体は機械のように動きはじめる。管理職は声を張りあげるが、ほとんどの配達員はよくて口パクで応える。
終わると班長による乗車前点呼が始まる。運転免許証所持の確認、体調の様子、アルコールの呼気点検が行われ、バイクのカギと給油カードがそれぞれに渡される。
―岩ちゃん、今日もゴジューで頼むよ。
班には一二五ccのバイクが六台と五〇cc一台がある。社員から一二五ccが割り当てられ、五〇ccに乗るのはバイトの岩垂か佐藤なのだが勤続年数が短いので岩垂の専門になる。二年前に転勤してきた班長も最初はハテナと思ったが、いつのまにかそういうことになっているということに慣れてしまった。
―班長、岩垂はおなかに赤ちゃんがいるんだからゴジューじゃカンナナの坂のぼれないんじゃないか。
 後ろに並んでいた高山が岩垂のお腹をさする。岩垂はいつもの高山の冗談をへらへらと笑いながらやり過ごす。
―岩垂もようやくやる気を出して、昨日なんか加藤の次に帰ってきたことだし、どこかの班に一二五余ってないの。
―高山さん、代わりにゴジュー乗ってあげてよ。
 同じく並んでいた若い加藤がすかさず高山をからかう。
―馬鹿言うな、老人を殺す気か。
―高山さん、今日はノー残業デーですからお願いしますよ。
―まかしておけよ、昼飯なんか食わないで頑張るからさ。
―それはそれで困るんですけど。
―それじゃ加藤、書留一〇本頼むよ。
―はあ~、俺ですか。
 対面の点呼を済ました岩垂は彼らのやりとりを聞き流して地下のバイク置き場に向かう。ほかの班で点呼を終えた配達員達も狭い階段をぞろぞろと降り始める。自分が乗るバイクの点検を一斉に始めるのだ。
―岩垂、受けるんだって。
 階段を下りながら先輩バイトの佐藤が聞いてきた。岩垂は今度社員登用試験を受けるつもりだ。
―無理ですかね。
 岩垂は佐藤のようにいつまでもバイトではいたくないのだ。
―佐藤さんは。
―もういいだろう。無理してなってもなぁ、そろそろ他を探すことにした。
 岩垂も佐藤も郵便局に来る前は別なところだが新聞配達をしていた。新聞の購読者が減ってきたので佐藤は見切りをつけて、岩垂は追われるかのように郵便局に来た。新聞配達をしていたというのは郵便配達の職場では歓迎されていた。同じ配達の仕事だから早々に辞めることはないだろうと郵便局側が勝手に思っているようだ。時給制契約社員といかめしい名前だが一時間一〇六〇円のという名のアルバイトだ。佐藤は六年、岩垂は三年になる。
 みんなが揃うまで薄暗い地下では談笑が広がる。佐藤も岩垂相手に暇をつぶす、
―そうだ、亀池のワンルームマンションに小学生が住んでいないか。
―知ってるんですか。
―やっぱりな。その子さ、ずいぶん小さいのに、ランドセル背負ってるだろう。いやランドセルに子供ぶら下がっているみたいなんだ。
―ひとりでマンションに入って行きました?
 岩垂はやや心配して聞く。
―いや、誰かを待ってるみたいにうろうろしてた。
―それでは点検を始めます! まずバイクの清掃から。ウエスは持ってますか!
 地下室でハンドマイクを通して叫ぶ管理者にしたがって、配達員たちは黙々とバイクを磨き始める。

 

 配達員たちの午前中は忙しい。朝の気だるい態度が嘘のように動き始める。ばたばたと郵便を組み立てファイバーに積み込み、書留を受け取り、その書留のバーコードを配達端末機に入力し、トイレをすまして配達に出かける。岩垂も非力の五〇ccのバイクで地下からのスロープを登れば、ややほっとする。心は急くのだが外に出るこのときが岩垂の一番好きな時間だ。さあ、やろうという気持ちになる。郵便局の通用門で一時停止を監視している管理者にも元気に会釈する。冬の初めの冷気も気にならない。もう多少の雨にも慣れた。
 五〇ccでも平地ならそれほど苦にならない。小さなマンションや一軒家が立て込む街並みを二ブロックくらい配達すると太った岩垂にもリズムが出てくる。停まってスタンドを立てる音も小気味いい。だがしばらくすると太り気味の身体は十一月末だというのにもう薄っすらと汗ばんでくる。おまけに配達先はゆるやかに上りはじめる。その坂は配達員がカンナナと呼ぶ〝環状七号線〟まで続き、なかなか減らない郵便物と郵便配達にはむかない身体は苦戦しはじめる。停まっているわけでもないのに乗用車がヨタヨタ走る岩垂のバイクを追い抜いて行く。
坂ではアクセルを全開にし、揺れる荷台とハンドルを腕と股で押さえつける。一二五ccではこんなことはおきない。彼が頑張るぶんバイクの白く濁った排気ガスが街を汚し続ける。
ブレーキ・スタンド・後方確認・素早く降車をワンセットにしてポストまで駆ける。ただ本人が思っているほど素早くはない。岩垂の場合は他人からみると〝よっこいしょ〟と降りているようにしか見える。
昼近くになると配達する地域が変わってくる。住宅街の静かさがだんだん〝環状七号線〟を走る車の喧騒に飲み込まれていく。ときどき〝環状七号線〟で走るスピードのまま車が住宅街に下りてくる。その車の排気ガスと岩垂のバイクのそれが混じり始める頃には岩垂の顔つきも精悍に、いや、歪んでくる。「少年は今日も、俺のことを待っているのか」。昼休みの時間になっても、岩垂は仕事をやめない。

 

―いや、ひどい目にあったよ。
 岩垂がようやく五階の食堂で昼飯を食べようとしたとき、高山がコーヒーカップを持って隣に座った。昼休みもだいぶ過ぎていた。
―きのう、夜勤者の書留再配達の応援に駆り出されただろう。書留を十五本も持たせやがって、一時間じゃ終わらないよな。加藤はパソコンの処理があるからって十本なのに再雇用の俺には十五本だぜ。敬老精神がないのか。それでも走り回ってなんとか最後の三丁目の亀池のマンションまで行ったよ。ほれ、ワンルームマンションの住人は帰りが遅くて居ないことが多いだろう。案の定、四〇四号室のインターホーンを鳴らしても、二回押しても出てきやしない。そうだ! その書留お前が何日か前に不在通知書入れたやつだった。
―区役所からきた配達証明ですか。
―それそれ、いないのかと、不在通知書を書きかけたらオートロックのドアが開いてよ。いるなら早くしろよ、まったくと思って四階の部屋の前でもう一度インターホーンを押すんだが応答ゼロ。あれ、俺、部屋を間違えたか、と部屋番号を確認しようとしたらドアが開きガキが出てきたんだ。びっくりするだろう、ここに子供がいるのかって。
「夜間指定の書留の配達に伺いました!」と、子供の頭越しに奥に向かって叫ぶ、そうするだろう。「カキトメ? お母さんはいません」と言うんだよそのガキが。「今日の夜、配達指定なんだが……」「わかりません。帰って下さい」まあ生意気なガキでなぁ。「ハンコがあれば渡せるんだけどなぁ」とまるめこめようと思ったが、「知らない人にハンコを渡すなと母ちゃんがいってました」ときたもんだ。
たしかに子供に配達証明を渡すのはよくないなと思ったが夜間配達指定だから、逆にあとから「なぜ渡さなかった」と言われるかもしれないと思い「これ、ボクのお母さんの名前だよね」と見せてやったら「漢字読めません」と言いやがる。今の時代自分の親の名前を読めない小学生がいるか。大人だったら、「じゃ、受け取り拒否したということで差出人にお返ししますが、いいですか」と脅かすんだが小学生相手に大人気ない。不在通知書を書いて渡したら何も言わずドアを閉めやがるんだ。
 黙って聞いていた岩垂は大盛りのカレーライスを食べ終えてしまった。
―役所からの配達証明じゃ碌なもんじゃないな。
―どうなるんですか。
―どうなるもこうなるも、俺達にはどうしようもないだろう。まったく、配達証明なんか配達したくないよな。
―親が悪いんですよ。
―……冷たいな、いまどきの若者は。
高山は呆れたように岩垂の顔を覗き込む。
―さてと、今日はノー残業デーだから内職でもするか。おい、岩垂、また爪が伸びてるぞ。
 妙に細かいところのある高山そう言うと昼休みだというのに仕事をするため、駆け下りて行く。

 

―岩垂さん、あの亀池のマンションに子供が住んでいるって聞きました。
 午後からの組み立て作業を始めてまもなく隣でリズムよく手を動かしている加藤が聞いてきた。高山があちこちで喋り散らしているのだ。
―実は、あの亀池に最近、少年がいるのを僕も見ているんですよ。ランドセルを背負って熱心に亀に餌をやっている小学生。その子なんじゃないかな。岩垂さんもあそこ担当だから見かけるでしょう。
―朝、佐藤さんも見たと言ってたけど。
 腰の軽い加藤はさっそく「佐藤さん~」と郵便物を片手に佐藤の所へ聞きに行った。
 みんなが亀池のマンションと言っているがパークサイドマンションという名前はついている。ついているがパークサイドマンションが建つまでは亀池荘という古ぼけたアパートが建っていたので亀池のマンションというほうがわかりやすいのた。。その公園にはボートが乗れるくらいの池があり、カメがいるので亀池とよんでいる。
―やっぱりそうでした。でも、どうやって暮らしているんです。あの狭いマンションで。たぶん1DKだから、暮らせないことはないだろうけど。かわいそうですね……あれ高山さんもう出るんですか。さすがベテランは違いますね。
 昼休みにちゃっかり仕事をしていた高山が組み立てた郵便をファイバーに積み込んでいるのをみて加藤がわざと声を張り上げる。
―ありゃ、田舎から越してきたな。俺の田舎の訛りだ。
―ということは岩垂さんと同じですか。
 加藤は興味深そうだ。
―同県人の岩垂! 今日はノーゼニ(・・)デーなんだから気合いれてやれよ。
―岩垂さん高山さんなんかにかまうことないですよ。
 加藤がとりなすが岩垂はもとより高山のいつものおしゃべりは無視する。加藤が「あそこじゃ、友達も呼べないだろうな」と呟いた。
―人には事情というものがあるんだよ。加藤や岩垂みたいな独身貴族ばかりじゃないのよ。ところで加藤、ボ―ナス出たら飲みに行くか。
―高山先輩とですか。遠慮しておきます。
 加藤はあっさりと断る。高山は岩垂や佐藤には声を掛けない。高山にしてみればボーナスをもらえない岩垂や佐藤への気づかいのつもりなのだ。
―加藤君、パソコン頼むよ。
 班長が転出書類の束を振りながらむこうで叫んだ。加藤は仕事を中断して、はいはいとパソコンでの転出入処理に向かう。
―まったくパソコンぐらい自分でやれよ。
と高山が班長に毒づく。
―パソコンぐらいできなくてなにが班長だ。
 そういう高山も苦手というよりできない。自分で処理しなければならないときは加藤君、加藤君と彼に頼よっている。

 

 午後の三時ごろにようやく配達の準備を終えた岩垂は地下のバイク置き場でヘルメットにガムテープで付けたライトを確認する。この季節、配達の終わりころには日も暮れて真っ暗になる。両手が使えるようにライトはヘルメットにつける。左にも同じようなものをつけた。ライトに比べてやや大きくこちらは専用のグリップでひっかける。コードが電池の入っている胸ポケットまで伸びている。
―なんだ、ライトを二つもつけて行くのか。
 いつのまにか、地下を点検していた課長代理が怪訝そうに二つのライトをみている。
―……電源が切れると大変なんすよ。
―暗くならないうちに帰ってくればいいんだよ。そうだろう。
―はい……。
 岩垂はヘルメットを課長代理に隠すように体をずらす。
―岩ちゃん、最近年賀の予約が入ってないぞ。声掛けしてるのか。当たって砕けろ、カズをあげないと受かるものも受からないぞ。
外へ出ると、建物の陰が見えはじめている。焦る岩垂には太陽がすでに傾いてきているようにみえる。急いで〝環状七号線〟の高台まで痩せた馬に鞭を打つように駆け上がる。駆け上がると勢いそのままに、渋滞する車の間に強引に割り込む。いくらも走らないうちに左折すると小学校、そこから配達を始める。構内放送やチャイムでざわつく学校から小学生が出てくる。固まって歩く小学生たちはふざけて突然進路を変えたり、走りだしたりする。高学年の帰校時間だから黄色い帽子の子はいない。あの少年はもう下校しているはずだ。ともかく、日暮れと競うように亀池に向かってまるで郵便物を落とすよう配達して行くのだ。
岩垂の腰にぶら下げてある配達端末機が鳴った。画面をみると局にいる課長代理からの電話だ。この時間帯での電話にいい話はない。いちいち出ていたら仕事にならない。無視して腰のホルダーに戻す。まずかったかなと一瞬思う。時計を見る。ぐずぐずしてはいられない。
すぐにまた端末機が鳴った。しかたないと電話に出る。
―あれー、岩ちゃん電話出られなかった。四の五の二八の、黒島さんのところに寄ってきてくれない、できれば今すぐにさ。郵便が届かないんだってさ。なんかじいさん怒っちゃってさ。くれぐれもさ……。

 

―どうしてくれるんだ、私は急いでいるんだよ。
―たしか昨日配達したと思うんですが。
―思うんじゃ困るんだよ。明日使うんだよ。
―夕刊の間に挟まっているとか……。
 岩垂は余計なことを言う。相手のせいにしたら話は長引く。
―うちは新聞、取ってないんだよ。なに。君はアルバイトなのか。君じゃ話にならない、責任者を呼んできなさい。
 岩垂は携帯電話で課長代理を呼び出す。しばらく黒島は課長代理と話していたが納得のいかない表情ながら岩垂を解放してくれた。

 

 岩垂が予定外のことに時間がとられているうちに住宅地に夕闇が広がり始めていた。街も昼の気配を消し、気の早いドライバーがスモールランプをつけ、手元の郵便のあて名が夕闇に隠れはじめている。
 ヘルメットのライトをつける。手元が明るくなると萎えかけた気持ちまでが明るくなる。同じくヘルメットに着けているウェアラブルカメラのSDカードを交換する。あと二時間は録画を続けられる。
 暗くなるとカタカタという情けない音を出すバイクのヘッドライトの明かりも頼もしい。が、ヘルメットにランプをつけて郵便配達する配達員に歩行者はびっくりし、夕刊を取りに出てきた人はぎょっとする。岩垂の脇を、塾へ向かう小学生たちが駆けてゆく。
 亀池のマンションに近づいてきた。川もないのに亀池は枯れることはない。水脈がこのあたりで顔を出すということは地盤が弱いのだ。脆弱だから大きなマンションも立つこともなく夕方から暗い。住宅地なのにこの時間でさえ通るのは大人の男性だけだ。いつもなら少年はここのあたりから現れる。

 

 一週間前の夕方、岩垂がそのパークサイドマンションに配達のために入ろうとすると後ろで声がした。
―おじさん、いつもここを配達しているの。
 おじさん? 俺のことかと、振り返るとランドセルを背負い黄色い帽子をかぶった少年が立っていた。帽子から赤茶けた髪がはみ出している。
―だいたいね。
―いつもこの時間なの。
―まあね。
 やや面倒くさそうに答える岩垂を少年はじっとみる。
―フタ、開いてるよ。ユウビン、風で飛ばされるよ。
 少年は郵便の入っているファイバーを覗き込んでいる。確かに開けたままだ。
―だめだめ、触っちゃ。風なんか……。
 いつのまにか風が出てきていた。フタを開けたままにしているのを指摘されて恥ずかしかった岩垂は触っていないのにそう言ってしまう。
―おじさん、カキトメってなに。
―大事なものが入っているなぁ。
―じゃ、ハイタツショウメイってなに。
―それも……大切なものが入っている。どうかしたか。
―別に、おじさん、これでドアを開けてくれない。
少年はカードキーを岩垂に差し出し、高いところにあるカード読み取りの溝のところを指す。
―誰かいないのか?
―……。
―いつもははどうしてる。
―ランドセルを踏み台にする。
―お前の背じゃ届かないよなぁ、ここまで。
 翌日も同じ時間に少年は現れた。今日はコンビニのレジ袋を持っている。よくみると首から携帯電話をぶら下げている。
―開けてやろうか。
―それが済んでからでいいよ。
―お前の部屋は何号だ。
―母ちゃんが知らない人に教えちゃいけないって言っていた。
―……。
―おじさん、亀ってなに食べるの。
―なんでも食うんだろう、亀は万年というだろう、旨いの旨くないのって選ばないんだ。
―亀池の亀は死ぬまでここから出られないの。
―たぶんな。
―かわいそうだね。
―そうか。
―おじさん、困るようなユウビン来たらどうしたらいい。
―捨てれるんだな。
―捨てていいの。
―ダメに決まってるだろう。
―……。
―まとめて隠しておいて亀のエサにするんだな。
―亀、ユウビン食べるの。
―ヤギじゃないんだから食うわけないだろう。
 怒るかと思ったが少年はにこりとした。

 

 結局、遅くなったせいか、この日、その少年は現れなかった。その代わりに機嫌悪そうな課長代理が帰局した岩垂を待っていた。
―あんな時は、近所に誤配されていないか調べてみます。調査して明日連絡します、と言うんだよ。俺が行ったって同じなんだよ。最後には局長を呼んで来いなんだから。本当に差し出されたかどうかもわからないんだから。
―でも昨日配達したんですが。
―なんでもいいから喋らして、誠意を示すしかないの。
―セイイ?
―謝り倒すんだよ……それに私はアルバイトは言っちゃだめなの。お客さんにとってバイトだろうが社員だろうが関係ないだろう。同じ制服を着て同じヘルメットをかぶり同じ仕事をしているんだから、そうだろう。
―すいません。
―そうだ、今度の日曜日空いてるか。
 課長代理は急に声を変えた。
―高山さんが調子悪いんだ。日曜日出てくれないか。
―俺ですか、まだ二区しか覚えていないから……。
―加藤が夜勤だけど、早めに来てくれるというから頼むよ。

 

―気にするな。それがあいつらの仕事なんだ。同じ仕事してるなら同じ金を寄越せよ、な。
 帰りのロッカーで佐藤が慰めてくれた。
―おまけに日曜出勤まで押し付けられたのか。
―加藤君も手伝ってくれるというから。
 岩垂はここで点数を稼ごうということを佐藤に見透かされてるようで小さくなる。
―えっ、ビデオに撮ってる!
 つい佐藤にこっそり配達してるところを記録していると言った。岩垂は佐藤の声が大きいのであわてる。
―でもそれは使えないだろう。
―そうなんですがね。
―クレマーと管理者とたたかうのはそれしかないか。
―新聞配達のときも配達されてないって怒られましたね。
―新聞配達の仕事も今から考えると、まぁまぁだったなぁ。夜が明けるのと競争だった。
―手だけだして待っている人いましたね。
―びっくりするよな、あれは。
―朝を待っていたんですかね。
―だといいんだがな。
―郵便配達は日暮れとの競争ですからね。辞めて田舎に帰るんですか。
―どうしょうかな。
―田舎は何処でしたっけ。
―あっち。
 佐藤はロッカー室の窓から見える暗い空を指さした。

 

岩垂はアパートに帰ってコンビニ弁当も食べずに録画したSDカードをパソコンに入れる。クレームのあった昨日のぶんだ。局を出発する所から始まる。五〇ccの情けないバイクの音がする。坂を上る。信号で停まる。乗用車が追い抜いて行く。岩垂は早送りして「四の五の八の黒島」のところを配達してるところから早送りを止める。バイクのスタンドを立てる音、下りてポストまで歩くぶれた画面、定形外の厚みのある郵便をポストにねじ込むところが写っている。岩垂は間違いなく配達してることにほっとする。
弁当を食べながら再生画面を見続ける。配達最後になる亀池あたりになる。少年が画面にでてきた。黄色い帽子の少年が離れてついてくるのが時々みえる。パークサイドマンションに入ろうとした時、後ろを振り返ると少年があわてて物陰に隠れた。小学生数名が少年の前を通り過ぎる。
画像はマンションの中に変わる。ドアの開く音がして振り返ると少年が素早く入ってきた。ややおどおどしているのが映っている。
―いま開けてやる。
―最近早くなったね、来るのが。
―そうか。
―亀、やっぱりユウビン食べなかったよ。
―やったのか。
―(バーカー)
 声を出さずにそう言って少年がマンションに入って行くのがパソコンのモニターに流れた。

 

 日曜日の朝、岩垂は一人で奮闘していた。午前配達指定の書留、定形外郵便、小包、速達……加藤に頼むにしてもまるまると言うわけにはいかない。知らないところは地図と睨めっこしながら組み立てる。こっそり地図ソフトが入ってるタブレットPCを持ってきた。迷ったらこれで検索するつもりだ。バイクだけはどれでも好きなのを使える。

 

その頃、パークサイドマンションから女性と少年が出てきた。女性は大きなキャリーバックのうえに小さなバックを載せている。少年はまるでこれから小学校にでも行くようにランドセルを背負い膨らんだ布製のバックも持っている。日曜の朝早くだから同級生とは会うことはない。同級生といってもほとんどは名前を覚える時間もなかった。少年は覚えていなくても同級生は知っている。少年が亀池のマンションから通っていることを。
 だが、今日は母親と一緒だ。見られても恥ずかしくはない。それにもうこの街から離れるのだ。こんな小さな池ともお別れだ。
母親がタクシーを見つけようと通りを伺っていると少年はマンションに戻りバックから何通かの郵便を取り出し集合受け箱のうえに放り投げる。
―なにやってんの。
―亀にエサやってもいい。
―そんなものやったら、亀さんたち病気になるわよ。タクシー拾えそうなところまで歩こうか。
―どこ行くの。
―とりあえず、じじばばのところ。もたもたしてたら置いていくわよ。
呼ばれた少年はポテトチップの袋をマンションのゴミ箱に捨てると、あわてて、そしてどこかうれしそうにとことことついて行く。二人は重い荷物を持って〝環状七号線〟に向かって坂を上り始める。

 

 

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